リニューアボー 自然エネルギー政策研究所 Institute for Renewable Energy Policies

2012年7月の記事

東松島ー被災地から自然エネルギー都市への挑戦 第2回

 

東松島、エネルギー自給への挑戦

 

東松島の環境未来都市構想

 

東松島市では、震災後数千人の住民を対象にしたワークショップを行い、復興に向けた計画づくりを進めて来ました。そんな中で、津波によって長期間停電した経験からエネルギーはできるだけ自給しなければならないこと、原発事故の経験から、自給すべきエネルギーは無理なく安全に調達すべきことを学んだと言います。

 

家族や仲間の死、多くのものを失った中で実感したのは「私たちは自然の一部」であり「非常に非力」で、「限られた期間を活かされいる」こと。生きることは限られた寿命の中で、仲間と知見を持ち寄り、価値ある未来を創造して行く努力を継続すること。そして、単なる復旧を目指すのではなく、効率を確保するために置き去りにして来た「不便だけど心地いい」「思いのこもったものに囲まれる幸せ」を大切にした、価値ある地域社会を創造する「環境未来都市」をつくることを決めたのだと言います。

環境未来都市構想について語る東松山市佐藤主任

環境未来都市構想について語る東松山市復興政策部佐藤主任

 

環境未来都市構想の自然エネルギー発電目標

被災前の東松島市における一般家庭の電力需要は日量40kw、全世帯15000戸の年間電力需要は219GW(ギガワット)と仮定されています。環境未来都市構想ではこの120%分、262.8GW/年の発電を2050年までに実現するものです。具体的には、木質バイオマス発電事業(発電規模1万kw、想定年間発電量81.6GW)、木質バイオガス発電事業(発電規模5千kw、想定年間発電量40.8GW)、メガソーラー発電事業(発電規模1万kw、想定年間発電量30GW)、農地ソーラー発電事業(発電規模50kw×500カ所、想定年間発電量25GW)、風力発電事業(発電規模200kw×10カ所、想定年間発電量64.8GW)などを組み合わせて行く構想です。

 

構想の中で最も重視されているのが、バイオマス発電を中心として、農業、林業とタイアップしたエネルギー産業の育成です。東松島市では、農地復旧が絶望視される中、広大な面積の荒廃を食い止めるため、基幹産業である稲作では、藁や籾を回収し、林地からも間伐材などの幹部分は極力木材として利用する一方で、枝や根などは積極的に森から搬出してバイオマス燃料にします。年間需要燃料6万8千トンに対し、9万トンの域内調達が可能と試算されています。

また、「田んぼでソーラー事業」では、田んぼの中に間伐材などで架台を製作し、透過性の高性能太陽光パネルを並べて、稲作と同時に太陽光発電をして農家の収入安定と地域での産業育成を同時に行う構想となっています。

 

農地でも発電「田んぼでソーラー構想」

農地でも発電「田んぼでソーラー構想」

東松島ー被災地から自然エネルギー都市への挑戦

第一回 復興の中からの出発

 

宮城県の東松島市は、仙台から東北東へ30km。太平洋に面し、日本三景松島の一角を占める風光明媚なまちでした。3.11東日本大震災では、市街地の65%が浸水(全国の被災地中最大)し、家屋被害は約11000棟(全世帯の6割)、死者行方不明者合わせて、全住民の3%にあたる1100余人の尊い犠牲がありました。

そんな中、東松島市では「環境未来都市構想」を掲げ、復興と産業再生をかけたエネルギー自給への挑戦をが始めています。実は菅顧問を含む自然エネルギー研究会のメンバーは、昨年東松山市の職員とともに、環境先進国であるデンマークを視察しました。今回はそのご縁もあり、東松山市の取り組みを直接取材させていただくことになりました。

 

150年かかると言われた瓦礫処理に目処
東松島市復興政策部の佐藤伸寿主任に最初に案内して頂いたのは、震災後1年以上立っても傷跡の残る野蒜(のびる)地区の水田地帯でした。津波による破壊と地盤沈下によって海水が浸入したままの状態です。農地の復旧は予定されてるものの、担い手不足などから被災した農家の6割が経営再建を断念している状態と言います。未だに水に浸かった街の様子を見ると、被害の大きさ、復興の難しさがあらためて感じられます。

野蒜地区の水田地帯の一部は、今なお海水に沈んでいる

野蒜地区の水田地帯の一部は、今なお海水に沈んでいる

 

しかし、東松島の特徴として、瓦礫処理が進んでいるということもお話し頂きました。東松島市では被災直後から瓦礫の分別を開始しました。瓦礫の大半を占める木材は粉砕して海岸近くに積み上げていました。この上に将来は植林し、木材片は次第に土に還りながら人口地盤として機能するとのことでした。ヘドロも少量のセメントを混ぜるなどして、土砂として活用できるとのお話でした。ビニール類など可燃性の物は域内で焼却し、残った鉄くずは業者に販売して現在までに1億円程度の収入を得たとのこと。こうした分別も地域の被災者の方々の大切な仕事になっていると言うことでした。お話では、東松島市では瓦礫の域外処理(県外の自治体などに処理を依頼)は行っていないにも関わらず、来年の夏で瓦礫の処理は完了するとのお話でした。150年はかかると言われた瓦礫処理を、わずか1年半で完了させる地域力を感ぜずにはいられません。

 

破砕し、海岸沿いに摘まれた瓦礫木材

破砕し、海岸沿いに摘まれた瓦礫木材

処理されたヘドロを積み込む

処理されたヘドロを積み込む

野蒜地区での高台移転計画
野蒜(のびる)地区には、明治政府によって進められた野蒜築港と呼ばれる港湾計画がありました。これは岩手県内の北上川水系と宮城県・福島県を流れる阿武隈川水系を結ぶ中継点として、また、東北地方全域と新潟県を水運で結ぶネットワークの拠点として構想されたものでした。しかし、実際には土砂の堆積などで工事が難航し、さらには台風で壊滅的な被害を受け、巨額の費用をつぎ込んだ港湾整備は事実上頓挫したそうです。それだけ、波浪などの影響を受けやすい地域であったとも言えるでしょう。今回の津波でも、東松島の中で最も被害が集中したのが野蒜地区でした。東松島市ではこの野蒜地区を中心に、居住禁止となった南部の海岸地区から内陸部への移転計画が進められています。環境未来都市構想は、この移転計画と同時に進められています。

 

東松島、移転計画図面

東松島市の移転計画図面(部分)。上部(北側)の黄色部分が新たな居住地域。最大1500戸程度の移住を想定。南側(下側)中央のピンク部分がほぼ現在の水没地域。

現在の移転予定地周辺

現在の移転予定地周辺

 

なるか風力革命!

 

ベルシオン風車が世界の風力発電を変える!?

理論によってではなく、徹底的に実証を続けて完成された風車がある。その名もベルシオン風車は、一人の職人によって生み出された。株式会社グローバルエナジー会長の鈴木政彦氏だ。

 

鈴木氏は元々、静岡県浜松市でFRP(Fiber Reinforced Plastics;繊維強化プラスチック)などの成型業を営んでいた。自動車やバイクなどのレーシング用カウリングを手の感覚で造る職人だった。彼のもとに、ある時風力発電用のプロペラ理論の権威である某大学教授が訪ねてきた。風力発電実験用のプロペラ製作の依頼だった。仕様は既に決まっていたが、鈴木氏は依頼された以外の形状のプロペラを何百種類となく作っては回し、実験を繰り返した。できたプロペラは、その教授が依頼したものとはほど遠い形状になっていた。

ベルシオン風車

ベルシオン垂直型風車

 

「自動車レースの経験から、風洞実験と自然の条件下ではまったく違うことが分かっていました。理論や風洞実験だけでは決して上手く行かない。最良の形は、何度もやってみてわかるものという経験からでした」鈴木氏は語る。

 

鈴木氏はその後、1年を通して風向の良い栃木に研究所をつくり、何千という実験を繰り返して、風力発電用のプロペラを完成させた。それがベルシオン風車だ。しかし、風車は完成したものの「理論と違う」風車は当初誰からも相手にされなかった。「とんでも科学」と勘違いする人さえいた。

 

実際に、具体的な話になって来たのは、足利工業大学(足利市)と共同研究を進めるうちに、通常の風車より回転効率がよく、風切り音が少ないことなどがデータとして実証され始めてからだ。足利工業大学学長で、日本風力エネルギー協会の元会長でもある、牛山泉氏の協力で足利工業大学総合研究センターに於いて試験が繰り返された。その後、八丈島などでの実証が続き、メディアなどでも取り上げられるようになり、ビジネスの話も舞い込むようになった。

 

この風車の最大の特徴は、風速1メートル程で回転を始め、1.5メートルで発電を始めるという効率の良さだ。しかもかなきり音が全くしない。それは扇風機やヘリコプターのローターが、ブーンと大きな音を出して回るのに見慣れている我々には気持ちが悪い程だ。しかし、考えてみれば音が出ているということは、それだけ効率が悪いという証しでもある。

 

ベルシオンスクリュー

ベルシオンタイプのスクリュー

 

飛行機や飛行艇にも応用可能

この風車は、船のスクリュー、潮流発電、飛行機などにも応用が可能だ。飛行機についても模型を見せて頂いた。飛行艇を模したその機体は、モーターを回した瞬間、滑走を殆どせずに離陸した。極めて性能の良いSTOL(短距離離着陸機)という印象だ。飛行機というよりもまるで凧のように低速でふわりと揚がる。機体の下に抱え込む揚力が余程大きいのだと感じた。上空に上がると、もの凄いスピードで進んだかと思えば、モーターをアイドリングの状態にして、ヘリコプターのホバリングに近い状態でゆっくりと飛ぶことも出来る。これも和凧が飛んでいるイメージに近かった。プロペラで無理に加速して揚力を得ているのではなく、機体全体で風を十分につかんでいる感じだ。飛行機と思ってみればまるでUFOのような異様な動きだが、飛行機と和凧(わだこ)のあいの子と思えば何の不思議もない。

 

ベルシオン飛行艇

ベルシオン風車を応用した飛行艇模型

 

今後の展開に期待

私たちが実際に研究所を訪れて得た感想は、徹底的な実証と積み上げによって、より理想的な風車が出来たのだなという率直な思いだった。むしろ、従来の風力発電に関する研究が、既存の理論に甘んじ、基礎研究を怠って来たと言っても良いのではないかとさえ感じた。それほど、鈴木氏の造った風車やスクリューは、理想的に回転し続けてていた。そして、せっかくここまで完成している技術を眠らせてしまってはいけないという強い思いを抱いた。これらの技術が実際の風力発電や各種の自然エネルギーの分野で使用されれば、エネルギー問題の解決に大きな進展があることは間違いない。問題は、どうやってそれを受け入れる体制をつくるかだと感じた。

 

風車の実際に関しては、グローバルエナジーをご覧下さい。

 

 

 

 

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